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しょーしきのしょーしつてん

消失点を探そうと思います

可能性の話

 人間は生まれつき平等じゃないみたいなことはよくいわれるけど、その最たるものがその人間が持ってる可能性なんじゃないかと思う。その人間の才能とか能力とかもさることながら、生まれた場所に由来する可能性の方が大きいような。
 例えば進学の場合。私が卒業した中学校から一番近い高校は市内でも一番といっていいほど頭の悪い学校だった。当然のように荒れていて、トイレに財布の中身が全部捨てられてカード類は半分に折れていたとか、ただでさえ定員割れしてるのに卒業するまでに10人近くは退学するとか、色々な話を聞いたことがある。*1。そんな学校に誰が行くのかといえば、結構な人数がそこに進学するのである。無論行くのは中学校の中でもそんなに頭がよくない奴なのだが、それで馬鹿にされるわけでもなく、滑り止めの私立*2に行く人間もいるので、それがおかしなことだとは思われていない。岩手県民は「とりあえず地元」という意識が比較的強いといわれるが、だとしても、その高校に行って当たり前という意識があると、当然ながら中学校の方の全体的な学力も下がる。かといって、その高校以外となると、電車通学か、10kmほど先まで自転車、その後原付というちょっと面倒な通学手段を取らないといけなくなる。
 このことが可能性の損失になっているんじゃないかといいたいのである。市内の高校で一番馬鹿な学校なのにそこに行ってしまうのが当たり前だという意識があったら、それよりもいい学校に行こうという意識だって摘まれるんじゃないだろうか。地元の高校でいいという擦りこみというか洗脳というかを、学校側は解いたりしたほうがいいんじゃないかと、母校についてなんとなく思う。
 もっとも、その地元の学校に行くことが悪いことだというわけではない。その可能性が悪いのではなく、それ以外の可能性が潰されてしまうことが悪いのだということをいいたい。まあ、可能性が広ければ広いほど、所謂社会に適応できるような人間は育たないわけで、教育を洗脳と矯正と考えれば、それほど間違ったことではないのかもしれないけれど。


*1:全部また聞きなので本当のところは分からない


*2:滑り止めでない私立高校は近隣に存在しない