しょーしきのしょーしつてん

消失点を探そうと思います

絶望系青春同盟に関して個人的に思っている・思っていたこと

 

 どうもしょーしきです。同盟の方のブログに自分のブログに書きますとかいっといて今更の更新です。しかも先にゲームの記事なんか書いてるという怠けっぷり。すまんな。
 ともあれ、第15回文学フリマお疲れさまでした。当方、絶望系青春同盟もわりとたくさんの方に来ていただいて感無量であります。よろしければつまんねーんだよ死ねカスとかそういった感想をお待ちしておりますので。エゴサーチしまくるんでできましたら引っかかる形で投げてくれれば見つけますので。
 で。
 私が思っている絶望系青春同盟という物についてここでちょろっと話しておこうかと思います。ちょうど区切りにいいんでね。

 まず、絶望系青春同盟が生まれるきっかけとなったのは文学フリマがまだ蒲田だった頃の、えーと今逆算してみると第10回文学フリマですか。まずそれに客として行ったおかげというかせいというか。なぜ文学フリマに行くことになったのかと、本を出すに至った経緯を説明しておきましょう。
 私がTwitterを始めたのはその年の始め頃で、義里さんに進められたのがきっかけでした。その義里さんが文学フリマというのにちょっと客として行ってみますわという話をしてまして、ほうほうなるほどそんなもんがあるのかーと、最初の頃はあまり意識して聞いていなかったのですが、その年のGWにいろいろと不幸なことが重なってしまったのです。その当たりの詳細は今更しゃべるのが面倒なので割愛しますが、ともあれもうこれ文フリ行ってみるしかねえ、と思ったら義里さんよりも早く東京行きのバスを予約キメて、行ってみればもう自分がこれまでうじうじと意識に膜張ったようなことしてたことが全て吹っ飛んでしまいまして、じゃあ次は本出すしかねえだろ! という二人の間での合意が形成された、という話です。
 
 そこでじゃあどんな名前で出そうか、という時に私が提案したのが絶望系青春同盟というサークル名だった、という誕生秘話。なので、絶望系青春同盟という訳わからんサークル名のデメリットは全て私の責任ということになります。頭についてる絶望でスルーされてるなーというのがなんとなく感じられるのがつらいです。
 じゃ、何でそんなのにしたのか、と思ったら、私たち二人が絶望してたから、というそれだけの話なのです。絶望してたのは私だけじゃないのか、という疑問もありますが、そもそも絶望してるのは私たち二人だっていう、という話を義里さんとしたのでそれについては間違ってないよな、と思います。

 さて、私の話に戻らせていただきます。じゃ、なにが絶望なのか、という方向に当然くるわけです。それはまあ当時の気分に名前をつけるとしたら絶望だった、あるいは絶望が一番近い、という感じです。当時の気分っていうのはさっき端折った部分のことで、具体的にはその年のGWの最終日午後4時から5時の出来事です。例えばさよならピアノソナタの3巻で、ぶっ通しライブ確定のシーンに、アニソン三昧でButter-Flyが被せられた状態で、次の日、今までと同じように学校に行っていつもと同じ生活に戻ることができるくらい精神を持ち得ていなかったらどうなるか、というなれの果てが、今この文章を書いている私です。
 
 もっと一般化していうならば、全てが過ぎ去るという圧倒的な事実に対してそれでいいと思えるほど人間ができていなかったということでもあり、全てが過ぎ去らない世界を手に入れたかったら、自分で作るしかないだろうという激しい思いこみこそが当時の私を突き動かしていたともいえるでしょう。過ぎ去った物が二度と手に入らないということに、少しでも抗したいとか思っちゃって。それこそどうしようもなく、そうじゃないとイヤだと駄々をこねる子供のように。

 そんな感じのが、絶望系青春同盟が生まれたきっかけというか、そういう物を作ってしまうに至った経緯というかです。どうでしょうか完全な自分語りになってしまいましたが。だいたいそんな感じです。ちょっとカッコつけすぎましたね。
 それはそうと今年15歳になる女子中学生がセーラー服にエプロンつけて朝ご飯作ってるのってすごくいいと思いませんか?